宮古工業高等学校長 (前伊良部高等学校教頭)

久貝 勝盛

サシバとは

■ サシバは分類学上は脊椎動物門(せきついどうぶつもん)、鳥綱(ちょうこう)、ワシタカ目、ワシタカ科、サシバ属に分類されます。

■ 秋田県以南に夏鳥(春に繁殖のために、日本に渡り、秋に寒い冬をさけて、温かい南の島々に渡る鳥)として渡来し、低い山や、丘陵地帯(きゅうりょうちたい)の森林で繁殖(写真@)します。沖縄の島々、特に宮古諸島に大群で立ち寄るのは秋の渡りの時です。国外では中国東北部や朝鮮半島北部で繁殖します。秋に繁殖地を飛び立ったサシバはほとんどが東南アジアや中国南部で冬を越します。 

■ 繁殖は年に一回で5〜6月です。卵は2〜4個産みます。抱卵日数は約30日です。約2ケ月かかって成長します。主な食べ物はネズミ、トカゲ、カエル、ヘビ、バッタ類です。 

■ 雄は羽が赤銅色で頭部が灰褐色を示し、雌は灰色味がなく、頭部も羽色も暗褐色です。雌の方が雄に比べていくらか大きくなります。幼鳥(写真A)は目の色は黒みがかった青色ないし青褐色をしていますが成長するにつれて赤みの強い黄色やあざやかな黄色に変化します。また胸の縦じまも横じまに変化します。(成鳥写真B)

 


@ひな育て


A幼 鳥


B成 鳥

 

 なお、沖縄で初めてサシバが記録されたのは中山伝信録(1721)で科学的に記録されたのは岩崎卓爾(1927)の石垣島気候編であるといいます。

 

 

サシバの渡り

■ 繁殖地の本土では、8月下旬から9月中旬にかけて渡りの準備がはじまります。この頃には、数羽のサシバが低い山の上空を忙しそうに飛び回っているのをよく見かけます。渡りの衝動がだんだん高まっていくものと考えられます。 9月下旬になると、本土のあちこちからサシバが南の方へ渡って行ったという情報がはいります。

■ 渡りのコースについてはまだまだ不明な点が多いが、これらのサシバの一部は日本における第一番目のサシバの集団通過地点、松尾芭蕉が「タカ一つ見つけてうれし伊良湖岬」と詠んだ愛知県の伊良湖岬を通り、第二番目の集団通過地点、鹿児島県の佐多岬に集まるものと推定されます。

 

 

■ 本土の中部地方での渡りのピークは10月5日〜10日までの間にあるといいます。しかし、宮古諸島でのピークは10月12日〜18日の間に見られます。
 宮古諸島にサシバの大群が渡来するのは九州付近にかかっていた寒冷前線が本州の方へ移動し、大陸の強い高気圧が南西諸島を覆う時です。こういう気圧配置のときには佐多岬の風向も北寄りの風に変わりサシバの渡りを助けます。
 中部地方での渡りのピークと宮古諸島でのピークのずれの日数は、鹿児島県の佐多岬に移動したり、佐多岬を出発する時の南西諸島の気象条件が渡りに適しているかどうかを選択するのに使われるものと考えられます。
 ところで、佐多岬を飛び立って南下するサシバは気象条件が良ければ、いっきに宮古諸島まで飛来するのだろうか。この事があまり詳しく調べられていませんでしたが、最近、佐多岬の南西、約430キロメートル離れた所にある徳之島が第三番目の集団通過地点ではないかと考えられています。それは、サシバの飛行時度が約40キロメートルである事とサシバの一日の飛行時間が約12時間、飛行距離が約400〜500キロメートルである事等からだんだん解明されてきています。しかし、まだ詳しい事はわかっていません。どなたかこの渡りの謎に挑戦してみませんか。

 

 

宮古諸島の住民とサシバ

 

■ 昔からサシバの休息地で知られる宮古諸島ではサシバのシーズンになると島中がにぎやかになります。現在、国際保護鳥に指定されているという事でサシバ密猟は、かなり、少なくなっていますが、その密猟の歴史は大変に古くて長いと考えられます。なにしろ、昔は、サシバのシーズン中に学校が運動会を行うと、太鼓ややベルの音、人の声でサシバが捕れなくなるといって地域の人達から学校に抗議があったといいます。いかに、島全体がそのシーズン中は、緊張していたかがわかるような気がしますね。

■ サシバとかかわった長い歴史の中で、宮古諸島の人達は世界中、どこにもないような宮古独特のサシバを捕らえる方法を考え出しました。それは、ツギャ(写真C)とよばれる捕獲装置です。 戦前は宮古諸島全体で約1,500〜2,000個ものツギャが作られたといいます。一つのツギャでシーズン中は平均60羽前後捕ったと言われますので、宮古諸島全体で100,000羽前後のサシバが寒露の時期になると犠牲になったと考えられます。

■ 戦前は繁殖地の日本列島の自然環境も良好で、サシバの数も順調に増加したのでしょう。 慶長14年(1609)、薩摩の琉球侵攻で始まった人頭税という税金で、島の人たちは牛馬のように働かねばなりませんでした。島の人たちはサツマイモとその葉っぱや茎、野草などを海水といっしょにしてたき、空腹を満たしていました。厳しい人頭税が続いた266年間、人々はおいしいお酒や肉類を口にする事はありませんでした。栄養失調で苦しむ島の人たちは何かに栄養の補給源を見つけなければなりませんでした。 幸いな事に、秋にサシバが大きな集団でやってきました。サシバのシーズンには島民の栄養がいくらか回復したにちがいありません。宮古諸島ではいつ頃からサシバを大量に捕らえて食糧にしていたかはっきりしないが、この人頭税の頃と関係あるかもしれませんね。とにかく、苦しい食糧難の頃のサシバは島の人たちにとっては、非常に大切な食べ物であり、労働の疲れをいやす楽しい狩りでもありました。 

■そういう長い歴史をもつ宮古諸島ですのでサシバ密猟をなくすのは大変むつかしいところもありました。しかし、関係者によるサシバ保護キャンペーン、講演会、サシバサミット等、島ぐるみの保護運動でサシバ密猟はなくなりました。 寒露の頃になると必ずサシバは大群でやってきます。長い旅の疲れをいやすために宮古諸島にやってきます。数百年、あるいは数千年もの昔から続いているだろうこのタカ渡りのドラマがこれから先も絶える事がないよう見守りたいものです。 毎年10月いっぱい、サシバ保護月間です。

 


Cツギャ(捕獲小屋)


囮のサシバ

 

 

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