◆>> 伊良部の行事・祭り <<◆

 

……御 嶽(うたき)……

■祭りや行事の中心となるのが(うたき)と呼ばれる神様を祭る社です。
伊良部島・下地島の小さな島にも大小15箇所ほどの社が点在しています。又そこに祭られている神様も殆どが実在したご先祖様で、本土の神様とはちょっと違っています。そこで、祭りや行事も本土には無い独特の文化となって伝わっています。

ィンガナス(ティダガナス)ウィガナス(ンマティダガナス)それに伝説による代表的な神の名は、ウラセリクタメナウのマヌス、あからともがね、兄妹産子神、玉メガ大世主豊見親カ二ドノウズの親などがある。(これは皆、神様の名前です)

島には、トヨ、ムビヤーズ御嶽、ナカドズ御嶽、ノヨシ御嶽、アダン二ヤ御嶽、ネパル御嶽、イシドマり御嶽、国仲御嶽、腕山御嶽、嵩原御嶽、ウズの親御嶽、大和御嶽、仲間御嶽、ンヌツ二ー、ウハルズなどの拝所と里ガンが点在し、古代から部落民の信仰の場となり現在までもそれぞれ祭りが行なわれている。

古来、各部落の人たちは,天神地祇をまつるばかりでなく、門にも屋敷内の四すみや豚小屋、カマドにも神がおわすものと、そういったところにも願いごとをしたり、それに祖先に対する祭祀がだんだんと中心になると、人は死して神になると考えるようになった。
祖霊が報本反始の孝道の観念からうまれ、その祭祀は死人のためのものであるにもかかわらず、生ける人々の加護を祖霊に求めるようになり、神仏混ごうの姿が行事の中にも現われている。

 

……祭 り……

 

島の主な祭りは何んといっても豊年祭であろう。

■佐和田の浜の豊年祭
佐和田、長浜では 豊年祭をオコユーコズと呼び、毎年旧九月の戊申の日、鎮守の森で ツカサ一人、オコンマ二人、ネガズンマー一人の四人が中心になって行なう。
司(ツカサ)達や関係者は、前日のタ方御嶽に集まって夜ごもりする。この場合ツカサ四人は白衣をつけ、線香をとって、今日の二ガイ(願い)の目的を神に報告した後、豊作を祈る。
翌朝八時頃から一般の参拝者は、御嶽に出向き、祈りを棒げたあと隣組単位による祝宴を開き、青年たちの舞踏、戸主の手踊りなどが披露される。
そして壮年や年寄りのクイチヤー踊りで締めくくるが、佐和田部落の人たちは、さらに仲御嶽に祈願したあと角力大会をして豊年祭に花をそえる。

■東区の豊年祭
東区は豊年祭をユーコズと呼び,旧九月の戊申の日に盛大に行なわれるが、これに先きだち、旧八月に前ユークイ(豊年祭の予告祭)がある。
この日は、司三人がトユンビヤーズ御嶽で祭事を行ない、豊年祭の当日は公民館に老若男女が揃い、三人のツカサが中心になって祈願したあと、中ドズ、アダン二ヤ、ノョシ、ツムトなどの御嶽をまわって豊作と部落民の健康を祈るが、夜ごもりは国仲部落だ
けがする。祭りが終ると、西区と同様、青年たちの舞踊、戸主の手踊りなどが披露されたあとクイチャー踊りでその幕をとじる。

■佐良浜のユークイ
佐良浜のユークイは池間村、前里村の司六人(大司、ニガインマ、ナガヅカサそれぞれ三人づつ)が中心になって祭事を行なう。
この行事は、だいたい毎年旧の九月二十日前後に行なわれるが、先ず、ツカサンマたちは、前日の午後三時頃、それぞれの大司の家に集まってからウハルズへ出発する。
そのとき大司を先頭に二ガインマ、ナカヅカサ、ついで前里村の大司、ニガインマ、ナカヅカサの順で歩き(すべての行事にこういった順で行動する)ウパルズに入る。
また四七才から五七才までの女の人をユークインマといってこの祭事に参加する。このユークインマたちは、午後六時ごろから思い思いにウパルズに出向く。そしてツカサたちとユークインマたちは午後八時頃から夜ごもりして祭りを行ない、翌日は、ツカサたちを先頭に、ユーンテル、ユーンテルと言いながら伸間御嶽、ウジヤキ二ウイラ、ヒヤーズ、やまとがん等をまわって豊作、豊漁を祈願して終る。

■佐良浜のカイルガマ
旧十二月のトラの日にカイルガマという祭事がある。この祭事は、魔物払いの行事で、他村ではスマフサラと呼ばれ、厄病が外から入ってくるのを防ぎ、来年の豊作を迎えようとする祈願の行事。
祭事はツカサ六人(池間三人、前里三人)と四七才から五七才になる婦人たちが大主神社でナナムイ神と十二方の神々に祈願して部落東方の井戸(アガイヌカ|)近くに行く。その間部落の幹部らが豚をつぶして骨をシメナワにつるし部落の入口に下げる。
祈願を終えた婦人たちは、あらかじめ用意したキヤーンを頭の上に乗せ、木の枝をふりながら家のカべをたたき、ヤマグーイダシバ(悪い者を出せ)と叫びながら各家をまわり厄霊を追い払い、最後は、前里添のサバ沖のガケに追い落す。
これで部落には、ユーの神と善神だけが残り、部落民は健康と平和で暮らせるという。

■カムス祭り
乗瀬御嶽には、カムスという珍しい祭事がある。毎年旧の十一月か十二月の始めに、干支に合わせて五日四晩、乗瀬御嶽にこもって願(ニガイ)する。
今では、この祭りのことをカムスオリといい、祭りが終って帰ることをカムスノーリと言っている。そして祭事に行くときには、北風となり、祭事を終えて帰るときには南風に変る
といわれている。
その由来によると、昔、宮古が琉球王国に統治されていたころ、伊良部村の人々に対し、首里王府へ貢ぎ物を持って行くようにと、蔵元の頭(かしら)から命令された。時の与人は、この命令を受けて貢物を運ぷ船の乗組員選びにあたつたが、一人の希望者もいないため、抽選によって乗組員を決めることになった。

抽選の方法は、村の若者たちの名前をひとりひとり紙に書き、それをまるめてお膳にのせ、お膳をゆり動かし名前を記した紙片を落し、落ちた数の多い者を選んで乗組員とした。
選ばれた人たちは乗瀬御嶽に行き、無事に大任が果たされて帰られるようにと祈願して出発した。彼らは無事に貢物を納めて帰途についたが、途中暴風にあい漂流した。

幸にして支那の船に助けられ、支那へ連れて行かれたあと全員無事に帰ることができた。むらでは無事帰ってきたことを大いによろこび、これは乗瀬御嶽のお加護によるものだと感謝し、そのご恩に報いる為に乗瀬御嶽で願解(バンホトツ)きの祭事を行なった。これがカムス祭りの始まりといわる。

その後、乗組員の子孫(女)をコウキウマ(祭事に参加する女のこと)といってカムス祭りにでているという。

 

 

……島の年中行事……

 

厳しい自然風土と、いわゆる孤島苦とたたかいながら、それを克服して「明日に生きる喜び」を行事にしたことや、先祖祭拝への祈願祭りなど多種多様にあるが主な年中行事は次のとおり。

■旧正月(ショウガツ)
佐良浜ではサウガツ、佐和田、長浜ではサオガツ、伊良部、仲地、国仲ではソオガツとそれぞれ呼び名が違い南区の五ヵ宇は三日間、北区の二ヵ字は四日間行なう。

■ユーイ(十六日)
この行事は、先祖神を祭る行事で、北区では旧十四日から四日間行なうが、南区では、十六日を迎え焼香といって分家や嫁に行った子どもら全員が供え物を本家に持ち寄り午後三時ごろから焼香を始め、主婦は先祖の神の名をもれなく呼び迎えて参加者全員が手を合わせてから紙銭(ツカビー)を焼いて終る。

北区は十六日に墓参りしてご馳走を供えて先祖を供養する。また十七日をプートイと呼び、祭りをしめくくるが、むかしは、池間島に出かけ、本家や親せきの家をまわり焼香して夕方ごろ帰った。

■ピンガン
春と秋の二季に行なわれる行事で、佐良浜には無く、南区の五ヵ字だけが祖先の霊前にモチ、二ギリ、酒、お茶、紙銭などを供える。

■サ二ツ(旧三月三日)
佐良浜では、ミナンガハナ(三回打ち寄せてくる波の泡)で身体を清める。
これは、中国伝来の曲水の宴の習俗したものだといわれ、潮水そのもののもつ霊力を認める行事である。この日は、お米(昔は麦や粟)にヨモギの葉をまぜて炊き、二ギリをつくり、海からの獲物を待って、酒さかなともに先祖に供える。

南区では、二ギリとクミズ(クダン草で焼いた魚を混ぜ酢味噌をつくる)を神に供えてから食ぺる。
当日部落民のほとんどは潮干狩に出かける。南区では、この浜おりをチビコロズアラズ(尻のアカを洗う)という。サ二ツの由来によると、
昔、ある家の娘のところに毎夜美しい青年が現われた。娘やその家族の者は、この美青年が、何処からやって来て何処へ去って行くのか名前さえもわからなかった。不審に思った家族の者は、ある日、この青年の後をつけてみると何んと洞穴の中に住むアカマターと呼ばれる大蛇の化身であった。
家族は驚き、それでも様子をうかがっていると、青年は洞穴にいる仲間の者に「娘の胎内にはすでに自分の種が入っている」との自慢話が聞こえてきたので二度ぴっくりして引きかえそうとすると、こんどは、「人間には知恵がある。三月三日に浜におりて潮水で身体を洗い浜で二、三回飛びおりすると胎内の宿りものは全部おりてしまう」とほかの者が青年に話していた。娘はその声のとおり三月三日に浜に行き潮水で体を清め、二、三回飛びおりするとアカマターの子が胎内から出て行ったという。

■ハーリー(旧五月四日)
この日は、午前八時ごろから池間添の浜と前里添の浜で、分会対抗のくり舟漕ぎ競争と小中学校生徒の水泳大会が行なわれる。部落民あげて競争見物に集まるので浜は多くの人でにぎわいをみせる。
また年寄りたちは、池間、前里の二手にわかれて集まり、各船から贈られた酒さかなや菓子、金などで海神祭を行ない船の競争を見物する。タ方は、大主神社前で角カ大会が行なわれる。
佐良浜のハーリーは何時頃からはじめられたかは、さだかでないが、明治二十年頃、当時の宮古の海岸を仮の泊屋として出稼ぎに来ていた糸満の漁夫達によって伝えられたといわれている。
ある年、糸満の漁夫たちが五月四日までに糸満に帰ることができず、そのため佐良浜でハーリーを行なったのが始まりだとされている。その後、毎年五月四日に海神祭を催し、引き続きはりゅう舟競争を行なう習わしとなった。ハーリーの当日は、すべての漁船は漁を休み、夜明け前から大漁旗をなびかせて航海安全と大漁祈願をする。なかには摸擬カツオ釣りを行なう船などがあって本番さながらの情景をみせる。

■ナンカヅツ(旧七月七日)
南区は、墓の掃除をしたあと線香たきお盆への案内する。北区は、祖先の霊に水を供える。この日は、両区とも洗骨する日でもある。
お盆(ストガツ)、佐良浜は、本来的にお盆はしないが、近ごろから盆のナカビの旧七月十四日にご馳走を供えて盆を行なう家庭が増えつつある。
南の五カ宇は、十三日から十五日までの三日間、仏だんに果物、アダン、キビその他の供養をする習わしで正月と並び年中行事の最も大きなものの一つとされ、親類縁者が集まる。また日頃疎遠している人たちも参加して祭りを行なう。

■十五夜(旧八月十五日)
南区では、好きな者同志か近隣、縁者同志で組をつくり、朝からムトに集まって、酒、ご馳走の準備や会場の整理などを行ない午後三時頃から酒宴に移リ盛んにうたい踊る。
同志が集まる家のことを十五夜ムトといい、ムトは毎年の番で移動することになっている。両区とも十五夜にはフキヤギ(もち)を作る。
昔は高梁と小豆でつくったようだが現在は米にかわり、量も神に供えるだけの少量である。
北区の佐良浜では、昔、網引きも行なわれていたようだが現在は行なわれず、ただ、フキヤギだけをつくり、酒とともに神に供える程度である。

■ミャークヅツ
ミヤークヅツは毎年旧九月のキノエウマの日から四日間にわたって行なわれる。
ミヤークヅツに奉加する男をウヤ(親)と呼び、池間村は、四七才から、前里村らは五十才から参加する。
同じ部落の祭事でありながらどうして参加者の年令がこう違ったであろう。
その原因は、はっきりしていない。ウヤたちは,年令によって呼び方が違い、七十才以上をウイビトウヤといい、六十才以上七十才位までをナカウヤ、四七才〜六十才までをバカウヤといっている。ウヤ達は、決して戸籍名とか官職名は呼ばず必ず屋号にウヤをつけて呼ぶ。そして、座る順位も決まっている。

また、祭事の期間中は、けんか口論をしない、不礼な行為をしない、人の悪口はいわない、金銭・物品の不正をしない、特にミlウヤ(新しく祭事に参加する人)達は、サシミや酒、菓子などは、自分から絶対に食べたり飲んだりしないことなどが禁制され、それを破ったウヤは不幸にあうといわれている。

四日間にわたって行なわれるこの祭事は、伊良部町役場佐良浜支所前広場で池間、前里むらの両方に分かれて盛大なクイチャー(踊り)が催されるが、他部落からも観客がドット押し寄せてにぎわいをみせ、部落全体が祭り一色にぬりつぶされる。
その由来によると、昔、池間島に仲の良い夫婦がいて玉のような男の子をうんだ。
ある年、感帽が流行し、元気で遊んでいた男の子が突然死んでしまった。夫婦は、なげき悲しみ、毎日、墓にいき、子供の生きがえることを念じながら泣きつづけた。
夫婦は、何日か立って墓をあけ、棺桶をのぞきこんでみると、可愛い子供がみるかげもなく変り果てていた。夫婦は、これが最愛の者の死後の姿なのだろうかと泣き叫んだ。法要をすませて何ヵ月かたったある日夫婦は、人間は、死んでしまえばついには白骨となり、土と化していくのか、そうであればこの世に生きている以上、つらくとも苦しくとも年に一度は楽しく踊りたのしもうと、踊ったのがミヤークヅツのはじまりといわれている。

■トンデ、サウガツ(冬至)
小正月の意で、肉などを料理して神に供え、ご馳走して祝う。
この日の天気の如何によって旧正月の天気を占うものとされている。

 

伊良部タオガニ
■古老の話によると、伊良部タオガニは昔「唐金」と言う人が始めて歌ったもので、その名をとってタオガニと呼称するようになったと言われている。
宮古本島でトウガニと言い、伊良部のタウガニとは全く異なるメロディーです。

■タオガニは、お祝いの座敷や酒座でよく歌われ、歌の主題は自然、教育、協力、恋愛、社会福祉に関する歌が多く、内容は一般的に相手の気持ちや境遇をよく洞察して、相手を喜ばせたり感激させたりする詩句を即興で表現します。

 

■旋律は、感傷的で悲愴な間を相手に強く訴え、素朴な発音の持ち味と相俟って聞く人をうっとりさせます。
封建政治で圧迫と差別を強いられ、毎日の生活が苦労と忍従で過ごさねばならない島の人々の心からの叫びのように聞こえます。

■今でも島の人々の心の歌として定着しており、その保存継承が急がれています。

 

♪♪佐良浜ミャークヅツ♪♪

■佐良浜のミャークヅツは旧暦の8又は9月のキノエウマ(甲午)の日の4日間「排所(ムトゥ)」を中心に盛大に行われる祭りです。
■1日目はアラビ、2日目はンナカヌヒー、3日目はアトゥヌヒー、4日目はブートイヌヒーと呼びます。ミャークヅツの語彙は、「こうしているうちが浮世であり、極楽である」との意味です。

■ミャークヅツに参加する男性はウヤと称され、池間添は47歳、前里添は50歳から参加します。

■祭りには種種の取り決めがあります。
・喧嘩口論しない
・無礼な振る舞いはしない
・悪口雑言はしない
・先輩より先に食べたり飲んだりしない


空き缶はゴミ箱に・・・美しい島を残そう

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